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イギリスの至宝、一夜限りのプレミアム・ステージが緊急決定! 『エンゲルベルト・フンパーディンク ジャパン・ツアー 2019』

イギリスの至宝、一夜限りのプレミアム・ステージが緊急決定! 『エンゲルベルト・フンパーディンク ジャパン・ツアー 2019』
Engelbert Humperdinck JAPAN TOUR 2019 ~THE ANGEL ON MY SHOULDER TOU~

「リリース・ミー」「ラスト・ワルツ」「クァンド・クァンド・クァンド」「太陽は燃えている」等の
大ヒット曲を持つ世界的シンガーの一夜限りのプレミアム・ステージが緊急決定!
その甘い歌声で“キング・オブ・ロマンス“と称されたイギリスの至宝のステージをお見逃しなく! 


エンゲルベルト・フンパーディンク ジャパン・ツアー 2019
■11月14日(木)東京国際フォーラムC
■開場18:00 / 開演19:00(予定)
■料金(全席指定・税込) SS席:¥18,500  S席:¥13,500 A席:¥11,500  
■主催:キョードー東京/キョードー東京インターナショナル/ぴあ 

★お問い合わせ先:キョードー東京0570-550-799
(平日11:00~18:00 土日祝10:00~18:00) http://kyodotokyo.com/
★未就学児入場不可、 チケットはお一人様1枚必要です。
★招聘・企画制作:キョードー東京インターナショナル

チケット
チケットぴあ 最速先行 プレリザーブ (WEB抽選)
受付日時:9/2(月)12:00 ~ 9/10(火)11:00
受付URL: https://w.pia.jp/t/engelberthumperdinck/

チケットぴあ 電話先行受付
受付日時:09/11(水) 11:00~2019/09/18(水) 11:00
受付電話番号 0570-02-9940 (受付開始からご利用いただけます)

一般発売日: 10/12(土) 10時~予定

日本公演公式サイト http://ehumperdinck-japantour.com/

エンゲルベルト・フンパーディンク
 エンゲルベルト・フンパーディンクは決して歌手になりたいわけではなかった。 確かに音楽のキャリアを積みたいと思っていたが、 彼はあまりに恥ずかしがり屋な性格だった。 イギリス・レスター出身で10人兄弟の末っ子だった彼は、 父親が第二次世界大戦で駐在を命ぜられたインド・マドラスで育った。 彼の幼少期は両親、 兄や姉の愛に溢れたものだった。 幼少時代から歌を上手く歌える自覚はあり、 さらに彼の声の力強さは周囲の人を驚かせるものだった。 「とにかく大きな声が出たんだ。 同時に、 優しく歌うこともできるんだと発見したんだ。 」

 アイコンとなる全てのスターがそうであるように、 彼もまた深みを持った人柄なのだ。 男性的で、 愛情深く、 内気だけどステージ上では遠慮なく、 徹底的にセックス・ゴッドを演じる程までに達観しているのだ。 「母親側の血筋から歌唱能力を引き継いたんだと思う。 父親は男性的な男性だったよ。 強くて運動神経が発達し、 カリスマ的だった。 だから自分もあらゆる男性的な事が好きだよ、 ゴルフ、 テニス、 格闘技、 サッカー、 スキー、 そして、 はい、 女性にもとても魅力を感じます。 」

 50年ほど続くキャリアの中で、 エンゲルベルトは、 1億4千万枚以上ものレコードセールスを記録、 ゴールド・アルバムは64枚、 プラチナ・アルバムは23枚、 グラミー賞も4回ノミネート、 ゴールデン・グローブ賞、 そしてハリウッドとラスベガスそれぞれのウォーク・オブ・フェームも獲得している。 イギリス女王陛下の前で4回もパフォーマンスしている。 彼はその独特な声で、 ロマンチックなバラードから映画のテーマ音楽、 ディスコ、 ロック、 更にはゴスペルに至るまで幅広いジャンルの曲をレコーディングし、 世界各国の何百万人ものファンを獲得してきた。 また彼はその声だけではなく、 親しみのあるユーモアのセンスや、 自嘲的なジョークといった彼自身から湧き出る魅力で多くの人々を惹きつけてきたのだ。 さらに彼はMTVに何度か出演することによって、 新たな若年世代を惹きつけるのにも成功している。

 エンゲルベルトの本名は、 アーノルド・ジョージ・ドーシー。 11歳にして音楽の勉強をスタートした。 サックスを演奏し始め、 17歳になると、 歌のコンテストを主催するパブのステージに出演していた。 友達に押し切られコンテストに出場した時、 彼はサックスで演奏するのではなく、 初めて声の才能を発揮したのだった。 アーノルド・ジョージ・ドーシーは、 コメディアンのジェリー・ルイスのモノマネを見事に披露し、 ファンの間では早速、 ジェリー・ドーシーとあだ名を付けられる事になり、 それがそのままプロとしてのステージ名となったのだった。

 ジェリー・ドーシーはイギリス音楽業界内ではかなり有名人となり、 1959年には「グレイジーベルズ/ミスター・ミュージック・マン」というシングルをデッカ・レコードよりリリースした。 しかしその後結核に感染し、 6ヶ月間に亘る療養生活をせざるを得ない状況となり、 せっかく登り調子だったキャリアを終わらせる危機にさらされたのだった。 その後幸いにも健康を取り戻したジェリー・ドーシーは、 復帰後はそれまでのイメージを捨て、 より強くダイナミックなパフォーマーとして印象付けるのが成功に欠かせないと判っていた。 そこで、 その当時のマネージャーが新たに提案したのが、 『エンゲルベルト・フンパーディンク』だったのだ。 それは、 ヘンゼルとグレーテルを作曲したオーストリアの作曲家から取った名前だった。 その名前は印象に残るという以上のインパクトを与えた。 そしてその名前は後に伝説となっていく事になる。 エンゲルベルトはザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズといった1960年代の中で音楽シーンに爆発的に出現したのだった。 彼の人気は一過性のものではなく、 1960年代を通じて内気なハンサム・ボーイは一躍世界の音楽シーンのアイコンとなっていったのだった。 彼はエルビス・プレスリーともとても仲の良い友達となり、 二人の伝説的スターはお互いの曲を歌ったりした。 チャート入りしたエンゲルベルトの初めてのシングルは、 「リリース・ミー」で、 イギリス・チャートで56週間連続チャートインのギネス記録となり、 そして世界11ヶ国でチャート1位を獲得した。

 その後のエンゲルベルトは「リリース・ミー」の他にも「ラスト・ワルツ」、 「愛の花咲くとき」、 「クァンド・クァンド・クァンド」、 「太陽は燃えている」などの世界的な大ヒットを放ちながら、 多くの時間を世界ツアーに費やしてきた。 エンゲルベルトの音楽は時間を超え、 彼の歌声はいまだに人々に届いている。 人々の心の奥底の感情や心情を優しく抱擁したり呼び起こしながら・・・間違いなく、 それらは彼の永遠の続く成功の秘訣である。

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